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アラフィフバツイチの生活

おひとりさまもいいけど再婚もね。ユル婚活はじめました。汚部屋以上ミニマリスト未満で断捨離もユル派です。

離婚が不幸とは限らないけど --- 断捨離をすると離婚に至ることもある2(第一回目の断捨離②)

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前回の記事の続きで、結果として離婚に至った、わたしの最初の断捨離体験談の後半です。

 片付けが進むに従って、夫に変化が!

ものを処分し始めると、次第に、元夫の様子が変わり始めました。たまに帰ってきても、ほとんど口もきかない、目も合わせないような状態だったのに、「どうしたの?」なんて聞いてくるのです。

 あるとき、電子ピアノを処分しました。わたしは、ピアノを弾くのが趣味で、風呂無しのアパートに住んでいた若かりし頃から、電子ピアノだけは持っていて、音が漏れないように、ヘッドフォンをしてよく弾いていました。

 それにも関わらず「何だかこれも要らないなあ」と、惜しげもなく手放しました。電子ピアノのような大物がなくなると、途端に部屋が広々してきました。

そして、再び帰ってきた元夫は、これには随分驚いたようで、ピアノには何の未練もないわたしに対して、「(ピアノを処分させてしまって)ごめん。」などと言って、謝り始めたのです。

 そして、数ヶ月後、ついに、再び毎日家に帰ってくるようになりました。

前回の記事はコチラです。「そんなに断捨離して大丈夫? --- 断捨離をすると離婚に至ることもある(第一回目の断捨離①)」

夫は帰ってくるようになったけれど

元夫が家に帰ってこなくなってから、まともに家に帰ってくるようになるまで、約一年経過していました。これほど長い間の不安と緊張で、わたしは、とてもくたびれていました。本当に神経が擦り切れ、消耗していました。

食事もロクに食べられず、人生の中で最も痩せた時期でした。また、「夫の居場所をつくるため」というコンセプトで、自分の不要品を、どんどん処分しましたが、落ち着いてみると、元夫のガラクタばかりがヤケに目につきます。

そして、「何だかこの家には、わたしの居場所がないな。」と、ふと思ったのでした。「わたし、何だかここに居る必要がないみたい。」

そんな風に、今まで感じた事のないほど、妙に明るく軽やかな気持ちで、自然にこんな考えが浮かんできたのです。それと同時に、長い間、わたしたち夫婦の間で未解決になっていた問題も、アレコレ浮かび上がってきました。

・わたしが外で仕事をすることに関する問題

・地方にある元夫の実家に同居するしないの問題…

などなど、どこのうちにでもありそうな、うんざりするような問題ばかり色々です。

元夫の宝物は、わたしの最大のガラクタ

問題の全てを、あれこれ細かくは書きませんが、ひとつだけ、象徴的なことについてお話ししたいと思います。わたしは、当時、部屋にあった、ダイニングテーブルと椅子のセットに、憎しみを抱いていました。

 このダイニングセットは、結婚前、一人暮らしだった元夫が、彼の両親が新しいものに買い替えるときに「もったいないから」といって譲り受けた、古ぼけたダイニングテーブルと4脚の椅子のセットでした。

 結婚の当初は、新しいダイニングテーブルと椅子のセットに買い替えるはずでした。わたしは、無印良品のシンプルなダイニングセットが欲しいと思っていました。

↓今なら、例えばこんなヤツですね。(無印良品のサイトから)

http://www.muji.net/img/store/homewares/scene/c6/s150/m.jpg

 でも、いくら言っても、彼は、例の古ぼけたダイニングセットを、なかなか手放そうとしませんでした。

「親が苦労して買ったものだから。」というのが、彼の常套句で、捨てるなんてヒドイことはとてもできないと、さめざめと泣くのでした。

 わたしはその度に結局、何だか可哀想になって、彼の涙に折れてしまい、買い替えはあきらめ、その古いダイニングテーブルと4脚の椅子のセットは、約8年間、わたしたちの結婚生活のど真ん中に居座り続けることになりました。(わたしは、涙にとても弱かったのです。)

 そのダイニングセットは、わたしの子供時代には、どこの家にでもあったような、昭和な感じの冴えないもので、20年以上も彼の両親に使われ、その後、彼の一人暮らしの部屋で5年間過ごし、新婚当初から、積年の手垢とホコリにまみれ、油でベトベトしていました。

 わたしは、ウンザリしながらときどき掃除したのを覚えています。(あまりきれいになりませんでしたが。)

「わたし、無印良品のテーブルと椅子が欲しかったの!」

と言って、この結婚生活の最終章で、ついにわたしは、その昭和な椅子を、投げ飛ばしました。椅子はキッチンに直結した玄関付近に、音を立てて転がりましたが、残念なことに壊れませんでした。

(注:わたしは、普通は暴力的なことはいたしません。念のため。)

 「ゴメン、悪かったけど、乱暴はやめて…。」と、彼は言いましたが、本当は、投げ飛ばしたかったのは、ダイニングセットだけではありませんでした。

(実際には投げ飛ばしませんでした。)

 実は、彼の両親のお下がりの、さまざまなブツが、他にも色々あったのです。そしてわたしは、いつも文句を言いながら、我慢して使っていたのです。

 わたしが、「あるもの」を欲しいと言った時、親切心だか何だかわかりませんが、彼の実家の屋根裏部屋にあったという、古びたカビ臭いブツがやってきたことがありました。それはとても不愉快なことでした。

 またそれ以上に、わたしには何の相談もなく、実家に連絡をとって、古びたカビ臭いブツを用意させるという、彼の奇行が許せませんでした。

 何でもかんでも「お古」ばかり押し付けられると、自尊心がどんどん傷つけられてしまうものだということを、彼も彼の両親も理解できなかったようです。もっとも、わたしの自尊心には興味はなかったのかも知れません。

 なぜならば、彼が誰よりも愛していたのは、わたしではなく両親でしたし、彼の両親にとっては、わたしなどは取るに足らない、どうでもいい存在だったわけですから。

『ガラクタ捨てれば自分が見える』とは、よく言ったものだ

ところで『ガラクタ捨てれば自分が見える』というのは、わたしの断捨離のバイブル、カレン・キングストンの本のタイトルです。当時のわたしは、まだこの本に出会ってはいませんでした。

本に関する記事はコチラ↓

gdamon.hateblo.jp

ですから、これは、あとから振り返って思うわけですが、不要品を処分すると、思考がクリアになって、本当の自分自身の現在の状況が見えてくるのだと思うのです。それで、見えて来たものに対して、どういう行動を取っていくかということで、その後の人生が変化していくのではないでしょうか。

 断捨離のあと、やってきたのは「離婚」と書きましたが、やってきたというよりも、ガラクタのない、クリアな思考で、わたしが自ら選択したのです。

 前回の記事のタイトルで、「そんなに断捨離して大丈夫?」なんて、脅しみたいなコピーを書いてしまいましたが(すみません)、大丈夫です。自分でどう選択するかどうかだけだと思います。

そして離婚

わたしは、離婚することを提案しました。話し合いは、穏やかに行われ、相手もすぐに同意してくれました。決まるまでは大変でしたが、子供もいなかったので、手続きは簡単なものでした。

わたしは、自分がこれから新しい生活を始めるアパートを探しました。部屋はすぐに決まりました。

わたしが出て行くとき、彼はまたサメザメと泣きました。「わたし、もう、あんたの涙には惑わされない!」と強く言い放って、明るい気持ちで出て行きました。

「好きなものは何でも持って行っていいから。」と言ってくれたので、必要だったパソコンとデスクをもらい、残っていた自分の本棚や小物など、荷物は小さな赤帽のトラック一台で収まる程度の身軽なものでした。

それまでの人生で最も晴れやかな気持ち

引っ越しの当日は、とても良く晴れた、春の暖かい日、晴れ渡った青空と同じように、わたしの気持ちは晴れ晴れとしていました。

 「これからは、本当にやりたいことだけをやって生きよう」

と、決意したのを思い出します。

 あのときの、雲ひとつない晴天のような、クリアな思考、クリアな気持ち、クリアな心…多分、当時わたしはとても良い顔をしていたのではないかと思います。

人相観のおじさんに声をかけられ、「あんた、今の心でやりたいようにやったら、絶対幸せになれるよ。」と、言われました。

わたしの第一回目の断捨離は、離婚という結果に終わりましたが、本来のわたし自身が一点の曇りもなく現れたような、とても晴れやかな、クリアな状態を見せてくれました。