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アラフィフバツイチの生活

おひとりさまもいいけど再婚もね。ユル婚活はじめました。汚部屋以上ミニマリスト未満で断捨離もユル派です。

引き寄せの法則って本当? 本当ですよ。これでもまだ疑いますか?

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引き寄せの法則本当かどうか、その本質を仏教のものの見方で解釈してみたいと思います。

引き寄せの法則が嘘くさいと思っている人はたくさんいるかも知れませんが、仏教的に見てみると、ウソどころか、わたしたちは絶え間なく、常に何かを引き寄せているのだということが解るのではないかと思います。

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ですが、仏教はひとつひとつの言葉をとっても、人それぞれ解釈が全く違っていることがあります。

ですから、この記事での説明は、断定的な言い方をしている部分があったとしても、わたし個人の主観なのだという前提で、読んでいただければと思います。

 

 ところで仏教って何?

引き寄せの法則が本当かどうか、仏教を使って証明するというのですから、そもそも仏教がどんなものなのかが、まず最初の問題です。ですから、まず、仏教について少し説明してみたいと思います。

仏教は、何か「ひとつの偉い神様がいる」という教えではありません。仏陀(=お釈迦さま)が悟った宇宙観ということです。

「宗教」という日本語が英語に訳されたとき「religion」という言葉になりました。それが原因で、仏教以外の色々なreligion」も、「宗教」と言われるようになってしまったのですが、本来「宗教」というのは、仏教だけです。

「ウかんむりに示す」と書いて「宗」という字になりますが「宇宙の真理を示す」という意味です。「宗教」は、「宇宙の真理を示す教え」ということで、お釈迦様が悟った宇宙観を教えているのが仏教です。

それで、お釈迦様が悟った宇宙って、一体どうなってるの?

お釈迦様が悟った宇宙観は、宇宙は一つものである」ということです。「ただ一箇の宇宙」とか、色々な言い方がありますが、わたしたち人間も、他の生き物も、物質もなにもかも全てひっくるめて「ただ一箇の宇宙」なのだということです。

ちなみに、宇宙を「いっこ」というときには、「一箇」という文字を使うそうです。

人間は「大きな宇宙があって、その中にちっぽけな自分が居る」と勘違いしているそうです。そうではなく、自分は宇宙との切れ目もなく、あらゆるものと渾然一体となって「ただ一箇の宇宙」なのだということです。

自分と宇宙は一体なのだから、本当の自己は宇宙ということになります。「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言い方がありますが、これは、「天の上から下まで全部、尊い自分自身なんだ!」という意味です。

(ときどきこの解釈を「宇宙の中で自分が一番尊い」としているのを見かけます。ですが、これだと、自分以外は尊くないということになってしまいます。「宇宙全部ただ一つの尊い自分自身」ということなので、少なくとも「自分も尊いし、他の人もみなそれぞれ尊いのだ」というように考えた方が良いと思います。)

また、悟りを「無我の境地」という言い方もよく使われます。無我というのは、「ちっぽけな自分がいない」ということで、「全宇宙こそが自分自身なのだ」ということです。

(これもよく見かける解釈として「自分なんていない」のだ、みたいな虚無的な考え方があります。でも、そういう感じではなく、自分と宇宙の間に境目はない(境目はないので、宇宙は自分そのもの)、と考えた方が良いと思っています。)

「我を離れて宇宙はなく、宇宙を離れて我はない」という表現の仕方もあります。どこまでも、私たちは、この「ただ一箇の宇宙」であって、生きようが死のうが、宇宙から離れたり、宇宙の外に出ることはないということです。

死んでもどこにも行かない…死んでも宇宙の中のひとつの出来事。この世もあの世も(区別なく)宇宙です。仏教のお釈迦様の宇宙観というのは、このように途方なものです。

「ただ一箇の宇宙」であるということを「悟る」=「本当にわかる、実感する」というお釈迦様のレベルまでいくのは大変ですが(座禅のような修行は、これを悟るためのものです)、ここではまず、アタマで理解しておくとします。

因果ありて人なし

ところで、その「ただ一箇の宇宙」ですが、あらゆる現象は「原因と結果」で成り立って、ただ延々に絶え間なくその因果をくりかえしているだけです。

人も含めてあらゆるものは、何かの結果です。そして同時に何かの原因も作り出しています。

仏教では「因果ありて人なし」という言い方をしますが、これは、わたしたち人間も因果そのものであるということです。例えば「両親が○○をした」という原因があって「わたし」という結果があります。(「わたし」自身が「結果」そのものだということです。)

これを、引き寄せの法則的に言い換えてみると、「わたしの両親が○○ということをして、「わたし」という子供を引き寄せた」ということです。

良いことを思えば良いことが起こる

悪いことを思えば悪いことが起こる

バチがあたるようなことをすればバチがあたる

などなど…あらゆることは、原因と結果で成り立っています。

そして、良いことが起こったからといって驕れば転落したり、感謝すればさらに良いことが起こったりと…同時に原因も作り出しています。

いつでも何かを引き寄せている

因果関係について言えば、「そうじをすれば部屋がキレイになる」とか「過剰に食えば太る」などというわかりやすいものから、人智が及ばない摩訶不思議なことまで、宇宙は一瞬のスキもなく、因果関係で成り立っています。

絶えず何かを引き寄せているとも言えます。

そして、人間は、いつでも自分に都合の良いことが起こってほしい、引き寄せたい、と思っているわけで、多くの人が良い結果が欲しいと望んでいるから、「良いものを引き寄せる方法が知りたい」ということで、引き寄せの法則に興味を持つのだと思います。

でも、その法則を知ろうが知るまいが、信じていてもいなくても、わたしたちは、いつでも絶えず何かの原因を作っているわけですので、相応の何かを常に引き寄せているのだということが、仏教を真理だという前提にすれば、理解できるのではないかと思います。

そういうわけで、個人的には、安心して、引き寄せの法則を信頼しています。

アンチな意見もあるかも知れませんが、そういう時は、変な人が変なことを言っているのだと思って、攻撃しないで放置プレイでお願いします。

人生せっかく生きるのだから、できるだけ良いものを引き寄せたいものです。